インタビュアー M:MC MACKO
J:JOE MONTANA TOUKI
M: なんでブランドを立ち上げようと思ったの?
J: もともと始めようと思ったときのきっかけは単純なんですけど、欲しい服がなくなったというか、買いたい服がなくなったから、自分で作っちゃえってなったんですけど、なんの知識もないし、OEMでやることとかも、1から作るっていうことがどんだけ難しいことかも知らんまんま、いきなり始めちゃって(笑)
でもその時に服をやりたいと言うよりも、今となったらあの時気づいてたんやろな… 自分の運命というものを。
一つのアートとしてもそうですけど、自分の主張できるもの、自分自身が広告になれるもの、ツールになるものを作らなあかんって、多分そのときの若かりし頃に直感してて。
それでうろたえてる政治家とかに対しても、うろたえてる世の中に対しても、やっぱり色々な角度で、Supremeとかみたいに、政治の票を動かしたりできるようなブランドにならないとあかんと思ってますし、ストリートのカルチャーも好きやし、自分の顔と名前一本で上がっていけるのがストリートであって。
怒られたり褒めてもらったりとか、喜びとかもこのブランドを通してやっていくっていうのを、多分なんとなく若かりし頃に直感的に感じてたものっすね。なんかその、運命というか。
M: だからみんながラップするみたいな感じで、自分の意志表示をするための服やった、みたいな?
J: そうですね。
M: でもそれ言ってた気がするな。前聞いたときに。「これは俺の表現方法なんで」って。言ってた気がする。
J: そうですね、表現方法ですね。
M: デザインするときに対してとか、服作るときに一番イメージしているものとか、俺がこんなんせなあかんとか、思いを教えてほしい。
J: やっぱり、Joe Montana OGSH9っていうのがブランドの英語の名前なんですけどOSAKA JOE”、”Montana JOE”って呼ばれているシカゴのギャングの名前から取ったんですよ。
その人はエトウケンっていって、新潟出身の、もともと任侠の世界におった、日系アメリカ人の人で。その人は日本人なんで、その人はMontana Joeって呼ばれてて。僕は、東京と大阪が西と東じゃないですか。
それで俺は、向こうが”Montana Joe”なんやったら、俺は”Joe Montana”で、俺は”OSAKA JOE”って呼ばれようと思ってるんで、それに至るまでやり続けること、後は、やっぱりその今コロナで物資が届かへんこととか色々あったんで、基本的にブランドは日本人の手で全部やりたいと思ってるっすね。
M: いいなぁ。
J: MADE IN JAPANとか。
M: やたらこだわってるもんなぁ(笑)
しかも名前はめちゃくちゃHIPHOPな名前の付け方やな。知ってる?CAPONEってやつ、ラッパーはステージネームをギャングの名前から取ったりとか、みんなギャングをリスペクトして、多分フレンチモンタナもそうやし、
J: 自分の中のHIPHOP道とか、REGGAEも好きなんであれなんですけど、HIPHOPもREGGAEも触って。
M: 大阪ではみんな一緒の仲間やからな。
J: 一緒っすね。大阪のストリートカルチャーっていうものを大切にしていきたいっすね。僕が一番いいもので作ったスーツとかはMADE IN JAPANで、巾着袋とかもだいたいMADE IN JAPAN。で自分の作ってる服は韓国に頼んでるんですけど、その斡旋とかその職人さんの表記はコリアンになっちゃうんですけど、作ってる人は日本人っていう。
そういうのをこだわって、もっともっとMADE IN JAPANっていうものを俺は大切にしていきたいなと思ってるっすね。
できるだけ大阪で作りたいんですよ。MADE IN JAPANやけど会社とか、今やってもらってる会社の人らみんなMADE IN JAPANで、近日出るデニムとかも全部大阪某所なんですよ。
M: いいねぇー。
J: 生地から作ってるおっちゃんがやってくれる、みたいな。全部、MADE IN OSAKAなんで、今コリアンとかまだちょっと入っちゃってるっすけど、いずれは、何年かで一旦フルMADE IN JAPANにして、そっからはMADE IN OSAKAにしたいっすね。
M: めっちゃいいな。へぇー。けっこう野望がいい感じやな。
J: まぁ、レペゼンして、みたいな。その世代その世代の。やっぱり地元にはJIN DOGGおったりREAL-Tとかおるんで。まぁREAL-Tなんか子どものときからのホーミーで、ファミリーなんで。あいつらにもちゃんと背中見せていかなあかん。
M: いいなぁ。ずっとポップアップばっかりでやってたやんか。ネット販売、手売りと。ここの場所で初めて店舗かまえた感じ。なんでいきなり店舗やったん?ずっとやりたかったん?
J: ずっとやりたかったはやりたかったんですけど、ブランドやって5年目なんですけど1年目は良かって、2年目は服屋っていうか活動家になっちゃってて、イベント打ったりとか。根の、中身の部分がスカスカになってた時期があって。
で、エンジンかかりはじめたときに、ちょうどコロナで、店舗持ってる状況じゃなかったというか。それで、今まで人生で一番高い買い物したのが自分の今のホームページ、100万くらい。自分に対しての買い物っていうのがそれで。ホームページに金をかけて、モノ売るっていう時代になっちゃったじゃないですか、むりやり。時代的に。
で、思ったんですけど、自分串源の客商売やってるじゃないですか。渡したりとか、手渡しじゃないと伝わらないんですよね。なんていうんですかね。その、目と目見てじゃないですけど。
今からやっていこうと思ってるのオンラインなんですけど、オフラインの喜びとかも知ったら、より一層人と人が触れ合ってモノを見て買う。やっぱり写真だけかっこよくしたら見えるもの、OEMで作った服と、自分で作った作品があったとしても写真次第で予算も良きも悪きも全部なっちゃう、みたいな。だからいずれかはやりたいとずっと思ってる。
M: 生で見てやった方が本物が出るから。
J: そうっすね。伝えれるじゃないですか。それが一番簡単で、一番難しいんですけど。
M: わかるで。言ってることは昔から変わってないからな。ずっと1から作りました、生地からって。言ってること変わらへん。いいなぁ。CBDもこだわってたけどだから今の店舗は下にCBDカフェがあるん?
J: そうです。
M: それは誰がどんな感じでやってるのかな?
J: ゆうきくんって言って、今ちょっと出ていったんですけど、その人がもともとここの1階と2階でやってはって、その2階でブランドを扱わしてほしいと言ったらちょうどいいね、みたいな。CBDを日本の中でも一応大阪で一番最初に出来上がった店舗なんですよ、CBDの。その中でやっぱり、僕もオーナーの子とか大好きなんで。その中で一緒に盛り上げていけたらな、みたいな。
M: いいな。他業種が一緒に合体してやるっていうのはすごくいいことで、お互いがいいことになるからめちゃくちゃいいよな。
J: はい。まぁ今からですね。その中でやっぱりショップにしていって、こういうテラスもあるし、みんながチルできるとことか、かっこいいものを大阪の中で作っていきたい。
M: ええなぁ。今後の野望みたいなん、ある?
J: 今後の野望は
M: 言ってたな、さっき。全部大阪のものでって。
J: そうですね、自分自身の野望は、多分Mackoくんと考え方と多分近いと思うんですけど。例えば、僕の仲間とかもけっこう諦めちゃったやつ多くて。夢、あったのに、みたいな。それはなんでかって言ったら全部お金なんですよ。でも、夢追うのにお金も必要なんですけど、夢ばっかり追い続けてるとお金ってなんとなく付いてくるじゃないですか。どないかなる根性じゃないですけど。
M: まじでそれ。完全に同意見!
J: その法則をみんなが知るには、ちょっと遅い年になっちゃったというか。ほんなら、それはそれで、その子たちはその子たちでいろんな建築始めたりとか、いろんなことをやったりとか、なっちゃうんですけど。俺の友達がこけたとか、会社が潰れた、子どもが病気でとか、いろんなお金が必要な理由ってあると思うんですけど。
例えばJOE MONTANAの服がSupremeレベルで売れるようになったら、僕がその子たちになんぼ必要や?と聞いて。例えば300万必要だとして。どこかに頭下げにいかなあかんねやったら、一週間でもこもって、絵を書いてくれ、と。JOE MONTANA OGSH9っていうデザインをずっと書き続けてくれ、と。
かっこいいものを、真剣に。それが出来上がったときに僕はそれを、その子が必要な提示額で買い取って、僕がそれを売る。これが俺はストリートブランドの究極の形やと思うんですよ。何かこいつが商売したい、銀行かどっかに頭下げなあかんっていう状況になったときに、一週間こもってくれって言って。でそれを俺が、売る。似てると思うんですよ。それが自分の中のストリート道というか。それができるようになりはじめたとき、それがたった10万でも50万でも、それができるようになったら僕はTOUKIじゃなくてOSAKA JOEって名乗ろうと思ってます。
M: カッコ良いな! そうなれる様にずっと応援する!
J: それまでの修行の時期っすね。それがやっぱり自分の中の目標っすね。ならんとあかんすね。そういうやつが一人おらんと、才能もやっぱりお金の力で消えていってしまうストリートなんで。
ブランド:JOE MONTANA
店舗住所 : 大阪市中央区南久宝寺町3-2-15